日本国有鉄道労働運動史【鉄労視点】

日本国有鉄道労働運動史、鉄労視点で綴るblogです

新潟闘争後 新組合結成と国労新潟

新潟闘争後、新地労誕生

新潟闘争中に、各職場から国労を脱退した職員は、200名近くになったそうですが、闘争終了後抗した脱退者が、国労組合員から虐められたり、村八分にされたりしたそうで、新潟闘争前の昭和30年2月1日に「組合を守る会」を結成したものの、当時の新潟地本から、村八分にされたり、虐められることがあったことから、そうした事態を危惧した、元「組合を守る会」の幹部が話し合って、新しい組合を作ろうという話になり、第一回の結成準備会が昭和32年8月4日に開催され

  • 「現在の国労新潟地本の執行部は信頼できない」

この点で、意見が一致したものの、どのような組合を作るかについては結論が出なかったとしています。

何度か準備会が開催され議論が重ねられる中で、職能別組合ではなく、新潟だけの独自の組合を作ろうという結論になったと言われています。

ここで、国鉄で導入されていた職能組合について補足させていただきますと、仙台地区で非現業を中心とした、職能別組合が結成の動きがあったようです。

国鉄の労政と労働運動 有賀宗吉著 下巻 P175から引用したいと思います。

「非現業関係組合結成準備の趣意書」

私たちは管理局を中心とする非現業関係の組合員の労働条件改善を図る推進機関として、総務経理協議会があり、組合本部の諮問に応ずるばかりでなく、直接・間接に当たってきたのでありますが、国鉄労働組合が単一組織になった以前を含めて、私たちの要望事項は今日まで殆ど何一つ解決していないのであります。

 中略

(1)非現業3%定員削減反対、(2)被服の全員貸与(3)級別定数枠の撤廃、(4)旅費単価の引き上げ、(5)当直指令の待遇改善、(6)超過勤務手当の増額

等13項目にわたる要求を改めて確認し、中闘に働きかけ・・・中略

 しかし、結果は現業、非現業の区別はしないから、地方本部でそれぞれ団交するというような、曖昧なゴマカシ方で妥結したのであります。

・・・中略。にも拘わらず組合費は一般組合員よりも高額な組合費を徴収されているので、これでは全く非現業部門にいる組合員は浮かばれないと思います。

・・・中略。

以上の点を合わせ、私たちの労働条件は現業の労働条件と異なり、仕事上の責任体制からもその高度性が要求される職種であり、・・・中略

現在の組合の中にあっては、非現業関係及び直轄職場を含めての問題解決は、もはや望みなしと判断し、ここに管理部門を一丸とする新組合を結成し、問題解決に邁進することを決定したのであります。

 

昭和32年6月14日

                         仙台地方非現業連絡協議会

長文になりましたが、一部省略しながら掲載させていただきました。

ここで書いていますように、非現業【いわゆる管理局などに勤務する職員】の待遇が現業機関と比べて改善が遅れていたことが窺えますが、私がいた頃の郵政局も似たようなもので、制服はもちろん貸与されないのはともかくとして、超過勤務手当が十分な原資がないため、殆ど末席には配分されないなどただ働きが横行することになりました。

国労新潟地本自体を正常な形に戻すために

新組合の方向性では、現在の新潟地本は、共産党や革同派に振り回される状況であり、国労新潟地本自体を正常な形に戻す【革正する*1】事が目的であるとして、新組合が過半数を占めれば国労に復帰しても良いと言うスタンスでした。
実際に、過半数を制するのですが、その際は現新潟地本ではなく、新しい組合を新たな新潟地本として指名するようにと言うことであり、結果的には決裂することとなります。【後述】

結成準備会の赤津友三郎、渡辺由司、岩川修二らは、総評の岩井章、国労出身の参議院議員大和与一、中村政雄、国労書記長の野々山一三らに会って話しあいがもたれたと記述されています。

 

新潟地本には対立するものの、国労本部にはシンパシーを感じる新組合、国鉄新潟地方労組

新潟地本には対立するものの、国労本部にはシンパシーを感じる新組合

新組合、国鉄新潟地方労働組合 結成

こうした流れを経て、昭和32年9月1日は、「国鉄新潟地方労働組合」が結成され、1036名が新組合に結集したとされています。【当時の新潟鉄道管理局管内の職員は14,861名で非組合員が約2,000名)だったそうですが、数年で過半数国鉄新潟地方労働組合」が占めることとなります。

新組合の基本的な考え方は

とし、「組合員のための組合」「誰でもついてこれる組合」の体制を確立する事が強調されたと言われています。また、国労新潟地本自体を正常な形に戻すということで、「国労に復帰することを究極の目的とする」という点は、綱領ではなく、確認事項となりました。

組合結成には全日本海員組合が応援

なお、この組合の結成に際しては、幹部が貯金通帳を赤津に提出して、「組合財政が確立するまで」という借用書を書いたほか、新組合のために全日本海員組合が新潟信用組合に2000万円を預託したと言われており、全面的に全日本海員組合が新地労を応援したとされています。

 

続く

 

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*1:改めただすこと