日本国有鉄道労働運動史【鉄労視点】

日本国有鉄道労働運動史、鉄労視点で綴るblogです

新潟闘争とはどのような闘争だったのか 第七話

いよいよ新潟闘争の内容には歩を進めていこうと思います。

長らく更新が遅れて申し訳ありません。

すれ違う、新潟地本の思惑と国労本部

新潟闘争は、国労地本と国労本部との牽制というか、共産党の影響を排除したい国労本部と、共産党が強い新潟地本との関係、国労本部の指示で動いていることとしたい新潟地本の関係、さらには、新潟鉄道管理局長は、当局で国労本部との摂政などに経験が多々ある局長であったため、安易に妥協することをしなかったという点

こうした点を理解しながら見ていただきたいと思います。

 

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新潟闘争では、当初から警察力の介入を予定していた当局側

前述のように、新潟鉄道管理局長は、事前に新潟県警本部長を訪ね、情勢によっては警察力の介入を要請しています。

これに一番焦ったのは、新潟地本で、闘争を中止すれば、直ちに処分が行われるので、無期限闘争を許可して欲しいと本部に要請しますが、本部は拒否

国労本部は「新潟地本は、12日からの闘争は、規模を縮小して、各支部一カ所ずつ、朝6時から夕方6時までの愛で、一時間の職場大会、順法闘争を行う」という指令を出します。戦術としては大幅なダウンの指示だったのですが。

新潟地本はこの指令に対して、下記のような拡大行動とも言える行動をします。

そして、こうした指令を発した7月11日夜、前述の駅長監禁事件が起こります。

詳細は下記に書かせてもらっていますが、駅長室に赴き、駅長並びにその家族を脅す等の行為をしています。

組合側としては、話し合いが和気藹々と行われたと書かれていますが、実際には恫喝に近かったもののようで、家族も脅され、息子が闇夜に乗じて駐在所に走ったと下記記事の最後の方で書かれています。

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国鉄線(国鉄部内紙)の昭和32年12月号から引用

さらに、同日スターマイン戦術で、職場集会が行われ、旅客列車14本、貨物列車64本が運休することになりました。

当局側は、関東支社並びに本社に、新潟の事情に明るい課長。課長補佐の応援を要請しており、局課員の疲労がたまっていることへの措置でもありました。

7月13日には、国労本部は新潟市で関東ブロック会議を開催して、新潟闘争を関東ブロック全体の闘争として取り扱うという決議を行いますが、組合の書記長など三役は派遣せず、中央闘争委員を三名派遣しています。

これは、新潟地本に対して国労本部の指示を守らせること、共産党による勝手な行動を牽制する目的があったと言われています。

下表の年表を見ていただくと判るのですが、貨物列車の運休が多数有りました。

当時は高速道路などがなく、多くの荷物は鉄道で輸送されていたのです。

この時期は県内産の野菜は北海道向けに出荷の時期であるが肝心の貨物列車が動かず、青果物の腐敗が続出しており、新潟商工会議所や、県農業委員会の代表が早期のスト収拾を求めて、7月13日には、当局や組合に働きかけたとされています。

それでも、当局、新潟地本、国労本部三者による意地の張り合いとなってしまった闘争は更に過激になっていきます。

7月14日午前零時から、水上、北堀之内直江津各駅で実力行使に入り、特に北堀之内駅では、駅員を組合の活動家が連れ去り、ピケを張って駅長の業務を阻止(これに関しては警察の介入を依頼したため、その動きを察知した組合がピケを解除)するなど

したため、上野方面行きの列車は160分から340分も遅れることとなりました。

新潟地本は、この後抗議のため職場放棄して分散職場大会を行えと指示を出し、午前7時から9時にかけて約60カ所で職場放棄が行われた。と新聞で報じられています。

国労中央闘争委員と新潟鉄道管理局長の交渉開始

国労本部の闘争委員と局長の交渉は13日から行われていたがこのときは処分の撤回申入れ程度であり、本格的にはこの日からでした。

組合側の申し入れとしては

  • 今回の中村・佐藤の処分を撤回すること
  • 今回【10日以降】の闘争の責任者は処分しないこと
  • 今回の闘争終了後、官憲による立ち入り捜査は行わないでもらいたいこと

個の三点を中心に交渉が行われることとなりました。

この交渉は難航するのですが、この辺は次回にアップさせていただこうと思います。blackcat-kat.hateblo.jp

参考:新潟闘争に関する年表 7月分のみ抜き出し

新潟地本幹部2人に当局から懲戒免職処分 7/8

新潟闘争、国労、当局の処分に反対し闘争に突入 7/9

6月13日行われた国労新潟地本の処分反対闘争により、7月9日2名の解雇者を出したことからはじまった新潟の闘争は、勤務時間内職場集会、強力な順法闘争が併せて行われ、日本海縦貫貨物輸送を完全にマヒさせ、運休、遅延が拡大。各所で鉄道公安と衝突となり、農民代表から抗議を受けるほどであった
16日開かれた中央執行委員会において採決の結果20対8で中止指令を出すこととなり、すべては中央部に移されることとなった

国労新潟地本、国鉄春闘処分に対し直江津など二駅で職場大会→処分反対闘争に突入 7/10→7/16 中止指令

この結果、裏縦貫貨物輸送マヒしており。16日の闘争中止指令後も交渉はこうちゃく。藤林公企体労働委員会会長あっせんに乗出すことに

国労新潟地本、職場集会などで、旅客列車14本、貨物列車64本が運休  7/11

国労の動きに合わせ、国鉄機関車労組(後の動労)新潟支部も無期限超勤拒否、臨時列

車運転拒否 など闘争に参加 7/11

国労新潟地本、新潟闘争の影響で、旅客列車5本、貨物列車29本が運休  7/12

国労本部、関東ブロック会議を開催、「新潟闘争を関東全体の闘争にすることを決議」7/13

国労新潟地本、新潟闘争の影響で、旅客列車18本、貨物列車32本が運休  7/12

国労スト参加者、さらに5人検挙。全職場無期限の職場集会、当局も一歩も引かず自体は泥沼化 7/15

新潟地区全列車が停止 7/16

中央闘争部より中止指令

国鉄当局、4人の免職を発表 7/16

当局更に、15人免職処分を追加 7/17

中央闘争部よりストライキの中止指令 7/18
国鉄当局は今回の争議に対して4人の免職発表 7/18

新潟闘争、中央で折衝を始めるも平行線の議論 7/19

労使双方の折衝が行われているが、当局側としては、国労と真正面から対決することも辞さないと言う強硬姿勢を崩さず、解雇処分を受けた役員と話合とは行わないとして、組合側の確約を要請するという強い態度を維持しており、組合側は、民同左派、革同派との調整や共闘関係から主流派(民同右派)が窮地に追いこまれているという情況下にあり、互いの思惑も含めて収拾のつかない状態となっている
膠着状態を打開すべく藤林公企体労働委員会会長が、あっせんに乗り出す事となったが、当局は、解雇者以外の組合代表者が決まるまでは団交は行わないと強硬な態度を崩さず、現行の労働協約は、組合が現状を維持する限り期間満了とともに消滅するものであるという基本方針を決定している。(関連:当局、組合費の控除廃止 10/23) 組合側は、解雇された幹部を団交から除いては、かねて不当であるとして来た処分を事実上認めることとなり、かつは大闘争を中止した後でもあるので内部をまとめる上からも不都合であると、団交拒否禁止の仮処分を申請している状態であり、その出口は見えない
さらに、組合員の中には、国労の運動方針々不満とし、団交権を確立し、当面の問題を解決しようとする非現業組合結成の動きさえ現われてきており。国労は事態が一向に進展しないので、とにかく9月25日までは列車に影響を与えるような実力行使は行わない、大会の決定どおり、全国的な闘争は9月末から年末闘争にまで発展させるということを決定するに至った→参考: 新潟闘争 国鉄労働組合史詳細解説 19

国労内民同右派による分裂組織準備会開催 7/21

 続く

 

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