日本国有鉄道労働運動史【鉄労視点】

日本国有鉄道労働運動史、鉄労視点で綴るblogです

国労内で民同右派による分裂運動(新潟闘争前) Ⅳ

半年も放置状態になってしまいましたが、改めて筆を進めたいと思います。

主には、国鉄民主化への道を参照しながら弊サイト国鉄があった時代、及び国鉄部内紙国有鉄道などを参照しながら進めていきたいと思います。

 

国鉄当局は、職員ではないものを組合役員とすることを拒否

事の発端は、国労が懲戒処分で解雇された組合役員を再び専従役員として選出したことであり、これに対して当局が強く反発したのが始まりでした。

その辺を弊サイト「国鉄があった時代」から引用したいと思います。

事の発端は、国労第13回大会での解雇された役員を再び専従役員として選出したからであり、当局から何度も警告を受けていましたが、国労自身はさほど重要に考えていなかったように見えます。

国労第13回全国大会等開催 山形県上ノ山 5/15

第13回全国大会及び第36回中央委員会が開催され、29年度の運動方針として、業務方針や党幹部の決定を行った
運動方針は、不当処分の撤回、生活向上の闘争等五項目
国労は当局の警告にも関わらず、解雇された役員を再任したため、組合を法外組合と認め、団体交渉等に応じない事態となった→国鉄当局、被解雇者の組合役員再選を理由に団交拒否 5/27

実際、国労の解雇三役の役員再選により、当局は団交を拒否すると事になります。

国鉄当局、被解雇者の組合役員再選を理由に団交拒否 5/27

解雇通告を受けた三役再選は適法と認め難いからその違法な状態を解消しない限り従来通りの労働関係を継続することは出来ないと正式通告
夏期手当問題その他について、国鉄労組から団体交渉の申入れをうけた国鉄当局は、組合幹部との会見に、被解題者を役員とする国鉄労組は法外組合である旨の正式通告を行い、かかる違法状態がつづく限り、団体交渉はもとより、組合に対する諸々の便宜の供与をとりやめることを伝えた

国鉄があった時代

これにより、組合側は24協定(組合費などを給料から天引きする制度)が利用できなくなり、この闘争は組合側が結果的の敗北に終わる事になります。

国労は、当局のこうした強硬な策に対して、団体交渉を再開するように、順法闘争で打開を図ろうとしますが、中々上手くいかず、結果的には国労が当局に詫びを入れる形での解決が図られることとなります。

少なくとも、国労が行った解雇者による役員改選はこの時は国労にとっては厳しいしっぺ返しを受けることとなりました。

国労内部では職業別(職能労連)設立の動きがあった?

昭和29年に国労が解雇された元組合員を専従役員として擁立したことは、前回のお話の中で出ていたと思うのですが、国労は昔から一つの組織とは言えいくつも派閥がありました。国鉄の職場自体が非常に多岐にわたっており、本社・管理局などの非現業部門はもとより、駅・運転・電力・通信・保線等々多岐にわたり、運転一つ取ってみても、動力車としての機関車乗務員もいれば、電車や気動車の運転士、国鉄バス等の運転士があり、駅の場合は更に多岐で、窓口業務などの出改札担当から、信号扱・操車場の連結手等々これまた多岐にわたるわけで、国労内でも機関車労組にならび職能組合への脱皮的な動きもあったようです。

その中で横断的にまとめていくにはある意味政治力と言いますか、支持政党毎にグループを作っていくのはある意味自然なことだったのかもしれません。

実際に、国労の中では民同派・革同派・共産党派等々と言った複数の派閥が存在し、民同派社会党を支持する訳ですが、社会党自体が講和条約の全面講和か一部講和かで社会党右派と左派に分裂その後再修復するもののやがて、社会党右派から派生する形で「民主社会党」が誕生していくわけで巣がこれはもう少し先の話、

しかし、純粋に労働運動を突き詰めていくならば職能別の方が問題は集約しやすくなり、かつ当局側もその点では問題の解決を図りやすいと于メリットもある反面、組織自体が小さくなる(個人が二つ以上の組合に加盟できないため)全体の組合としてのパイは小さくなる(組合費の減少)というデメリットもあり、国労職能別組合の設立には積極的には動かないわけで、その辺の国労の制度的問題がここに来て出てきたように思えます。

さて、そこで古い資料を参照していますと、中々興味深い資料を見つけることが出来ました。

国有鉄道昭和30年9月号の記事で、国鉄労組長野大会傍聴ノートと呼ばれる記事で。

この記事では、当時の大会の様子を探ることが出来ます。

以下一文引用してみたいと思います。

むしろ会場の空気をひきしめていたのは、職群の是正をめぐる各職代表の動向であろう。線路工手のランク引上げ、信号機掛、連結手のランク引上げ等の懸垂幕が張りめぐらされ数十枚のピラが全員K配布された。
動員された傍聴者の気勢は派閥的なものから形を変えて職種的な結束となり、休憩時間中には、必ずどζかで職協の会合がもたれていたが、わずか280円の分配をめぐって、職能セクトの底流があったことは見逃がすことはできない。

当時の大会の様子を視察した、国鉄職員局労働課員のレポートなのですが、この時点では昨年度の解雇三役を降ろすのか否かは。いわば派閥同士のいわばにらみ合いの様相を呈することとなり、その反面上記のように、大会としては職群の是正を巡っての各職代表の動向とあるように、職能別の要求が強く出てきたことに着目すべきで、これを職能別の組合分裂の萌芽と見ると考えるのはいささか考えすぎでしょうか。

 

続く

 

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