日本国有鉄道労働運動史【鉄労視点】

日本国有鉄道労働運動史、鉄労視点で綴るblogです

国労と賃金闘争の話、国鉄と政府、そして組合と

久々に更新させていただきます。

今回は、当時の春闘に関して、国鉄当局・組合の関係を中心にご覧いただきます。

今回は新潟闘争前等、昭和32年(1957)春闘を取り上げています。

国労内にあるいくつかの派閥

今回は鉄労視点とは言いながらも、国労内の動きに注目していこうと思います。国労という組織は機関車労組が分裂したとはいえ、依然国鉄を代表する組合でしたが、必ずしも1枚岩という訳ではなく、大きく分ければ社会党を支持する民同・革同派や、共産党系等が存在していました。

国労という組織の中には、左派と言える革同派とより穏健な民同派があった

国労という組織の中には、左派と言える革同派とより穏健な民同派があった

1957春闘が、新潟闘争のきっかけとなった重要な位置づけ

特にここで注目したいのは、昭和32年に行われた春闘で、総評の戦術委員会では春闘の決戦時期を3月11日から15日までの連続4日間と指定し、国労・機労も第一派として3月11日、12日と実施することとしていました。

更に、公労委(公共企業体労働委員会)の斡旋案がなかなかまとまらないと言うこともあり、調停案を出せずにいたと言われています。

この調停案が出せなかった背景には、労使間の問題ではなく、むしろ公社間の賃金格差をつけるのか否かという点で揉めていたからといわれています。

後に、石田総裁国会で発言して物議を醸したたばこ巻き事件がありましたが、その10年ほど前に、当時の職員局長兼松学も、たばこを巻いている職場と国鉄が同じ賃金という旨の発言をして専売公社からクレームが来たとも言われています。

100円の攻防、政府・当局と組合と

こうした中で公労委における調停は続けられ、3月6日には国鉄側では労使双方で1300円【労組側の主張は1300円、当局側は当初1100円】で決着がつくかと思われたが、公共企業体労働委員会に藤林敬三委員長は、国鉄・労使双方で決定した妥結案が気に入らないとして、1200円でなければという。

国鉄の差額賃金を認めようとしなかったわけで、委員会を途中で退席してしまったそうです。結果的に調停作業は二日ほどストップ、3月8日まで姿を見せなかったと言われています。

この辺に関しましては、国労の資料によればかなりきつい職場闘争と順法闘争を繰り返しており、これにより当局側に譲歩させたと、国労権利闘争史には以下のように記述されています。

以下、国労権利闘争史 P103から引用

賃金の引き上げ等につき1月27日公労委に調停を申請した。しかし調停も難航し、翌57年2月末にいたり、ついに国労は2波にわたる実力行使に踏み切ったのである。こうした中で3月9日になってようやく公労委は調停案を提示した。その内容は賃金1200円引き上げ等であった。国労は、この調停案に不満を表明しつつも、「政府・当局が本調停案を実施するための必要な予算措置を講じ、直ちに当方との間に具体的に協定を締結することに応じるならば・・・これに応諾する用意のある」ことを表明した。これに対して政府は、調停案を拒否し、ただちに仲裁に持ち込む*1ことを決め、社会党首脳との会見でも早期の仲裁を言明したのであった。しかしそれも束の間。政府は12日の政府・与党連絡会議でこの方針を変更し、仲裁申請の時期を遅らせることを決定してしまった。

ここで注目すべきは、当時の宰相は岸信介であり、政府として公社などの現業機関に対して、積極的に介入しようとした点は注目しなくてはなりません。

これにより、国労は再び強力な闘争に入ることになります。

以下は、国鉄における労働争議を弊サイト国鉄があった時代から抜粋したものです。

当時の年表から抜粋

新賃金、年度末手当等を要求して闘争体制を整えていた組合側は、予定通り第一波闘争に突入 2/21

国労春闘第二波闘争(半日職場大会) 2/26

国労春季闘争激化。第3波に入る。岸総理と鈴木社会党委員長によるあっせんが行われるに至ったが、事態は好転せず。23日手当支払問題をめぐり、国労は拠点1200駅と客貨車区で午前中3時間の職場大会(実質的な抜き打ちスト)を実施、輸送不足に悩んでいる国鉄の貨物輸送は文字通り麻痺状態となった 3/11・3/12

国労、午後2時から業績手当て問題で、スト突入 3/23

政府は国鉄当局を通じて、業績手当支払いを承認しないと通告、理由は3月26日に実施を予定していたストライキを中止することが条件であるとして26日のストライキを中止しない限り業績手当を支給しないと説明されるが、午後2時を経ても支払われないことから、国労は順法闘争並びに職場大会に突入、る国鉄の貨物輸送は文字通り麻痺状態となった、運輸大臣の支給命令で5時に解除

以上のように今回は国労春闘を見ていただいたわけですが、実はこに春闘の後で行われた、解雇者を含む処分が多数出されたことから国労が処分撤回闘争を指示するのですが、これがその後の新潟闘争へつながることになりますが、その辺は次回説明させていただきます。

jnrera.starfree.jp

 少なくとも当局としては、出しても良いとしていたの対して更にそれを曲げてしまおうとした点に問題があるわけです。

結局、この斡旋案も政府に押し切られる形で3月9日、総評が高原闘争として提示した二日前の3月9日に三公社の労使に対し、一律1200円増額という調停案を提示した。

 

国鉄としては1300円でも良かったのだが政府の許可が下りず、労使双方にしこりを残すこととなり、政府は国鉄を非難し、当局もそれに反論する姿勢を見せることとなりました。

結論から言うと、国鉄の賃金は平均と比べると高いが、他の公社などと比べて勤務時間が長くかつ、平均年齢が高いことも要因であり、現状では他の公務員と比するとむしろ安いくらいであると解説しています。また、「国鉄民主化の道P247」には、職員局長兼松学の見解として以下のような談話が週刊朝日の3月31日号に掲載されていました。

国鉄の経営者の立場に立てば、後100円出せば組合と話がつく、また出せるだけの余裕がある時は出したい。国鉄がもうかっている時は、その内幾らかを組合員のフトコロに返すのが大争議を引き起こすよりは安上がりだ。鉄道事業では、人件費が五〇%と言うのは常識、いま国鉄は42%だがら、あと1,2%出しても企業上ちっともおかしくない。ところが予算にしばられて、その自由がきかない。国鉄総裁は汽車を動かすだけで、大蔵大臣のハンコがなければ、金は出せない。まるで禁治産者みたいだ。組合としては、政治闘争にならざるを得まい。好ましくないが、制度上、労組を政治闘争に追いやっている。国鉄経理上、調停案を受け入れられる場合でも、その自由がない。いわば無能力者を相手に交渉する組合も気の毒だ。

と書かれています。

このように、政府側は公共企業体という組織にあり方を理解していないと、当局も組合側も嘆いており、結果的に当局あっても組合にしてもやるせないものだと言うことが言えそうです。

結局、組合を更に左派へ左派へと追いやったのは、国鉄当局と言うよりも政府であったのではないかと言えるかもしれません。

続く

 

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国鉄があった時代 JNR-era
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*1:仲裁裁定は労働関係調整法により、労働委員会に設けられる仲裁委員会が労働争議の解決のために下す判断。労働協約と同一の効力をもつもので、当局・労働者双方を拘束する