日本国有鉄道労働運動史【鉄労視点】

日本国有鉄道労働運動史、鉄労視点で綴るblogです

国労新潟地本の分裂、国鉄新潟地方労働組合結成 Ⅲ

長らく開いてしまいましたが、改めてアップさせていただきます。

前回は、新潟国労が分裂する直前までの話を中心にさせていただいたのですが、当時の新潟鉄道管理局長が職員に対して現在の基準で言えばパワハラまがいの方法で班長などに対して部下を新組合に加入させるように発現したのではないかという事で、国会でも問題視されました。

さて、今回も国鉄民主化への道を底本としてご覧いただこうと思います。

国労新潟地方労働組合発足

昭和32年9月1日、新潟市に有会員会館で新潟地方労働組合の結成大会が開催されることとなり、組合員数は1036人と発表されたそうです。
当時の新潟鉄道管理局の職員は14,861人内非組合員は約2,000人ですので、構成比的には下記のグラフのようになるのでしょうか。

新潟地方労組発足時の組合員数

全体から言えば1割程度が新しい新潟地方労組に結集したことになります。
新潟地地方鉄道労組の基本的な考え方は下記の通りであったそうです。

新しい組合の基本方針は、新潟地本を反面教師にしたような内容

と言う三つが基本的考えに合ったとされています。

特に、マルクス・レーニン主義の断固排撃とか、政治的変更を避けると言った部分は、新潟闘争が革同の勢力によるものと言う認識から出たものと言えましょう。

そして、新しい組合は、

「組合員のための組合」「誰でもついてこれる組合」の体制を確立することが強調された反面、「国労に復帰することを究極の目的とする」という点は綱領に含まれることはなく、確認事項に留まったとされています。

元々、新組合が過半数を制したならば現在の地本(革同派が中心)に代わり新しい自分たちの組合を新新潟地本とすることを申し入れているのですが、これは流石に本部も配送ですかと行かず結果的に新潟地方労組は国労に復帰することはなく、新たな「新国労」として結集するわけですが、

新潟地方労組は、過激な新潟闘争に対してついていけないと感じた人が多かったのではないでしょうか。

実際に、新組合設立後には新しい新潟地方労組に加入する人が増えたという記述もあります。もっとも、管理局長が班長達の研修の場で不当労働行為とも取れそうな発言があったとした話は前回にお話ししたとおりです。

 

blogランキングに参加しています。
クリックしていただけると喜びます。

********************************************************
取材・記事の執筆等、お問い合わせはお気軽に
blackcat.kat@gmail.comにメール
またはメッセージ、コメントにて
お待ちしております。

国鉄があった時代 JNR-era
********************************************************