日本国有鉄道労働運動史【鉄労視点】

日本国有鉄道労働運動史、鉄労視点で綴るblogです

国労新潟地本の分裂、国鉄新潟地方労働組合結成 Ⅱ 共産・革同に反対するグループの新潟地方労組

昨年の11月から更新できず、申し訳ございませんでした。

新潟で結集する新組合は職能別組合にあらず

国鉄新潟地方労組結成までを国鉄民主化への道を底本として解説を加えさせていただこうと思います。
新潟地方労組は新潟国労の共産・革同に反対するグループが中心となって新しいグループを形成したわけですが、これは当時同時並行的に結集が行われていた、職能別組合とは別に誕生することとなりました。
職能別組合も、新潟地方労組も国鉄新生民同右派が関わっている点は同じなのですが、新潟地方労組はその経緯から、職能別とは少し異なる立ち位置からスタートすることとなりました。

社会党党員という肩書きで、国労内で分裂活動

特に、新組合結成で活躍した赤津友三郎という人は、その根底にはあくまでも共産党・革同派に振り回されてきた新潟地本を立て直すためであることとし、過半数を得ることが出来れば国労の復帰しても良いと言う考え方をして降り、職能労連とは異なる考え方でスタートしたとしています。
赤津氏(後に新潟駅長)は、総評事務局長の岩井章氏や国労出身の大和与一参議院議員に面会して、新組合結成のための相談をしたと記されています。

昭和53年国有鉄道新潟駅長の肩書きで記事を寄稿
皿に、国労新潟地本もその辺は把握していたようで、「国鉄民主化の道」では下記のように書かれています。
地本の分裂を図るためには手段を選ばなくなった赤津氏は、常軌を逸した行動にでている。社会党員という肩書きを遣って、三宅氏を介し社会党労働部長大和与一氏に会い、対中闘会議の機会を極めて政治的なものにした赤津氏は、19日上京し、野々山書記長にあい、笑止にも、地本と中闘・総評の固い団結にひびを入れようという、分裂主義の本領をいかんなく暴露した
と書かれているように、国労地本でも行動は把握していたようであることが窺えます。
そうした意味では、未だ未だ新潟地本にしてみれば、赤津氏の行動はいわゆるお手並み拝見と言った感じだったのでしょうか。
そこで、改めて今度は新潟地本(不屈の30年史から当時の状況を見てみたいと思います)

組合分裂の首謀者はあくまでも河村新潟鉄道監理局長という見解

監理局長自ら、班長クラスに対して、組合への加入を行うように発言

新潟闘争収束後には、あからさまに国労地本内の分裂の動きが始まったと記されているが、その後当局によるあからさまな支配介入が行われたと記述されています。
すなわち、不当差別や、権利侵害などがあったと記されています。
あくまでも、国労新潟地本としての立ち位置での発言と言うことに注目していただきたいわけですが、当時の国労地本の考え方に合った当局に対する考え方は。
国鉄当局は、”分割して支配する”資本の法則であると規定しています。
すなわち、当局は組合員を分断させて、自分たちに都合のよい御用組合を作ることを主眼としているもので、この考え方は、国鉄分割民営化直前まで、続く言わば金科玉条のように考えて居たように感じます。
当時の新潟では、闘争後新組合結成に向けての動きが活発になってきますが、底には当局も加わっていたのだという表現とも取れる部分が出てきます。
以下に引用してみたいと思います。
東大法科出身など、法の裏表に精通し、その善悪を就知(ママ、熟知の誤植と思われる)しているエリート官僚が支配する国鉄におけるものであるだけ「証拠さえ残さなければ、不当労働行為はなにをやってもよい」という法の盲点をついた新鉄当局のやり方は、明らかに”階級的犯罪”とも言うべきものであった。
と有るように、当局を非難する反面、赤津氏の行動については全く記録として残っていませんが、新潟国労地本としては、根本的な要因は当局にあるとして居ますが、逆にこのように当局を非難するだけであったのです。
実際にそのような行為があったのか否かは、判りませんが。
少なくとも、国会でもこの点は指摘されることとなります。
再び不屈の30年新潟闘争史を参照しますと、当時の新潟鉄道管理局長による下記のような不当労働行為が行われたと指摘しています。
以下再び、引用したいと思います。
1958(昭和)33年4月に行われた、管内の施設、電気関係の分区長講習会の際、第二日目の昼食会の席上行った次の発言を見ても明らかであろう
  1. 局長としては、第二組合を育成し、新潟地本をどうしても潰したい。その為には、現場長や助役に頼っても、もう上手くいかない。今度は、諸君らが第二組合を増やすように頑張って貰いたい。
  2. 第二を増やすには諸君が日常組合員と作業の上で緊密にむずびついているので一番良い。
  3. このことに異議のあるものはこの場所でいってもらいたい。
  4. このようなことのできないものは管理者としての資格がないから技術掛、営林掛、工手長に格下げをする。
  5. 自分は新潟地方本部をつぶすまで新潟にいる心算だから頑張ってもらいたい。

こうした河村局長の方針にもとづいて、前回内の殆どの現場当局は、公然と、又隠然と、分裂主義者と、新潟地本の組織壊滅を目指して策動した。しかし、なかには極めて僅かではあったが、直江津駅長三浦庄太郎のように、こうした理不尽な命令に毅然として抵抗し、最後まで公正な立場を堅持したものが存在した。

と発言されているわけですが、この内容を全く同じ内容で、下記の社会労働委員会で、小林進日本社会党議員)として、国労の代弁者として、質問をしています。
質問の内容は、不屈の三〇年史に書かれている内容そのままなのですが、こうした事実があったの・・・少なくとも新潟地本の組合史以外では黙殺されている内容ですので、実際にあったのか否かは確証は未だ不明ですが、少なくともこの争議後多くの組合員が国労を脱退し、新潟地方労組に移籍したことも事実であることから自発的な脱退もあったかもしれませんが多少なりともこうした動きがあったかもしれません。
 
なお、関連する記事として別の弊サイトでも、こちらに関連する記事をアップしておきますので、併せてご覧くださいませ。

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