日本国有鉄道労働運動史【鉄労視点】

日本国有鉄道労働運動史、鉄労視点で綴るblogです

支社制度、具体的な取り組みを四国支社に見る【国鉄当局部内紙から参照】

鉄労視点と言いながら、今回は当局の支社制度設定の狙いなどを当時の資料を参照しながらご覧いただこうと思います。

 

本社の権限を降ろして支社で自発的な行動を期待

国鉄の制度が改革されて、支社制度が発足したのは昭和32年1月16日ですが、発足は、本社が権限を集中させてしまって全体が見えなくなっている事への反省もありました、そこで支社に権限を委譲させて、本社は企画部門などを中心にしていく方向性が示された訳で、昭和32年12月には公共企業体審議会が、「現行の支社制度を強化徹底し、独立採算制に近づける」ことを答申し、最近、産業計画会議は、「現在の国鉄は経営単位が過大なため中央の意思が末端にまで行き届かず、かつ、現在のような全国的プール計算では、経営努力によって黒字となりう る路線の赤字に対しでも経営者は不感症となり、赤字経営の原因も責任も不明確となるから、 事業の円滑な る運営を期待するためには、特殊会社による国鉄の分割経営を 行う」ことを勧告した。

産業計画会議 国鉄は根本的整備が必要である から抜粋

産業計画会議 国鉄は根本的整備が必要である から抜粋

とされており、国鉄という組織に対して、GHQの頃には、足下に置いておきたいとして、官僚制を温存させたものの、ここに来て公社は独立採算制を意識させたり、産業計画会議のように、国鉄を場合によっては特殊会社による分割せよと踏み込んでいます。

こうした背景もあり、国鉄本社の権限を降ろして、本社はスタッフとしていわゆる戦略を練る参謀として、支社を地域の実情に応じた地域会社としての機能を期待したもので、昭和32年の発足後も何回かにわたって、その権限が支社に降ろされることになりました。

支社による積極的経営を期待

支社制度の発足で、支社長の権限が拡大することとなり、人事権の拡大や工事費予算などの決裁も、3,000万円以下(現在であれば概ね3億円)の工事を計画し、施工することができるとされるなどとなっています。
当然のことながら、そうした権限があると言うことは、その責任もあると言うことになるのですが、どうしても上意下達が当たり前になっている官僚組織としての国鉄では、その辺がうまく機能していなかったきらいもあったように見えます。

最も、四国のように関西支社から分離した四国支社のように比較的小さな組織であったことから、支社と管理局が一体となることから、独自に経営改善計画を策定して、大きな改善を図り、業務の改善を図ったとされています。

以下にその概要を、箇条書きで書いてみたいと思います。

 旅客車について

  • 大量のディーゼル・カーを一挙に投入して、全線のDC化・無煙化を図る
  • 気動車の特性を生かして小単位の列車を可能な限り頻発
  • スピード・アップと準急の増発を行って輸送の近代化を図る
  • 中間簡易駅を増設して、速くて、安くて、待たずに乗れるをモットーに改善計画を推し進める

 貨物輸送について

  • 車扱貨物取扱駅の廃止を断行して一七二の貨物取扱駅を概ね三分の一程度の中心駅に集約、貨物列車のスピード・アップを図ると共に車両の生み出し、貨物の速達を企画
  • 集約駅の貨物設備改善計画を積極的に推進
  • 新鋭連絡船の建造を計画

最後の新造船の計画は、本社での決定事項となると思うので、本社への具体的計画という意味合いと理解しています。

 参考資料として

 更にこの辺を以下の国鉄線という雑誌にその当時の取り組みが書かれていましたので、併せて参照してみたいと思います。

一部抜粋して見たいと思います。

 四国支社では昨年の九月「四国鉄道の経営改善」を企画され、支社長みずから改善計画についての詳細な説明に当られ、本社としても斜陽化しつつある四国の鉄道を救う手段として、その方向はまことに尤もであるということで、方針的にも又ある程度予算的にもこれを了承することになったわけです。そこで支社では輸送改普、経営改善の実施に踏み切られて、徳島県を手始めとして既に数線にわたって実績をあげておられますし、また今後も引きつづき線区ごとの改善を実施して行かれるように伺っております。

 中略

まず最初に、終始この仕事に関係してこられた企画室長さんから大体の経緯を御説明願います。
瀬戸 四国は御承知のように地勢的にいろいろ不利な条件におかれておりまして、船舶、自動車、さらに最近では航空機などの交通機関にだんだん蚕食され、まさに救いがたい状態・・・言うなれば亡び行く斜陽鉄道の縮図といったようなありさまです。従って経営面も、33年度におきまして46億円の純収入をあげるのに74億円の経費を費やし、差引28億円の赤字を出しております。そういう状態のもとに、昨年4月支社が発足しまして、これを契機に従来の情性と依存性を一切断ち切り、支社だけの自主独立によって、この倒産しかかった四国の鉄道を建て直そうじゃないかということになったのです。建て直し策の骨子は、客貨の輸送方式を抜本的に改善して、近代社会に即応するサービスを提供するということで、そのために旅客輸送ではディーゼル化による思い切ったスピーディなフリーケント・サービスを行い、貨物輸送では車扱の集約と設備改替をして増収をはかっていこう、また内部的には経費を節約し、企業意欲に燃えた運営をしていこうということでありました。そうすれば、斜陽化のどん底にあえぐ四国の鉄道を再建することは決して不可能ではないという信念のもとに、支社発足直後の昨年五月、旧四鉄局時代の無煙化促進委員会を発展的に解消して、輸送近代化委員会というものをつくり、ディーゼル化、貨物輸送の近代化、輸送施設の精強と近代化、れから水陸連絡輸送の近代化、さらに保守修繕の合理化などを総合する具体的な愉送改善案を練りました

四国支社発足

国鉄昭和35年9月号

 四国支社は、元々は関西支社から分離したものですが、四国鉄道管理局と支社が一体化したので、より意思決定は早かったと思われます。
また、すでにまだまだ自動車道などが完成していない時期にあって、すでに厳しい状態であったことが新ためてうかがえます。

四国は、支社制度廃止後は四国総局として、独自の施策を行っており、すでに合理化などもある程度まで進めていましたから、九州・北海道で問題となった余剰人員問題もほおこらず一部、不採用があったようですが、希望した職員は殆ど採用されたと聞いています。

 

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