日本国有鉄道労働運動史【鉄労視点】

日本国有鉄道労働運動史、鉄労視点で綴るblogです

新潟闘争とはどのような闘争だったのか 第九話

ほぼ1ヶ月ぶりの更新になります。

新潟闘争は妥結するどころか更に悪化の一途を辿ることになりましたが、その辺のお話しをさせていただこうと思います。

交渉決裂後も、独自の闘争を展開する新潟地本

河村・細井会談の打ち切り後、国労中闘委員の細井は15日午前9次の急行佐渡で東京へ帰ってしまったそうで、新潟地本としては夕刻19時頃から各地で職場大会を開催、弥彦線では踏切10カ所の組合員が職場を放棄して職場集会に入ったそうです。
このため、保線区の助役が踏切の助勤に入るまでの間、駅助役が列車に乗り込み、踏切手前で一旦停止して、下車したうえで、誘導運転をしたそうです。

当局の記録では、15日には140カ所で職場集会が開かれ旅客列車19本、貨物列車114本運休【貨物列車の運休率は、63%】に上りました。

国労を離脱者が出始めるとともに、当局も長期戦を覚悟

ただ、この日を境に、国労を集団脱退する組合員もいたそうで、7月15日、午後1時頃、東三条駅の駅員が、「23人」脱退すると宣言したのを皮切りに、柴田駅、長岡【操車場】駅、新潟鉄道管理局などで国労脱退者が相次ぐ事となりました。

国鉄本社も長期戦を覚悟し、政府に長期戦になる旨説明すると共に、関係者の責任を追及すると談話を発表したそうです。

明けて7月16日には、緊迫した朝を迎えることになったそうで、警察庁は、新潟県警察本部に、国労新潟地本闘争は、日本共産党が背後から操っている政治闘争であるから、不法事犯は断固取り締まれ」と指令を出したそうです。

さらに、当局側からも応援が駆けつけ。本社からの課長クラスや隣接局からの応援を含め約200名の態勢ができあがった。

新潟地本は、車掌区に重点を置いて闘争を展開、103カ所で職場大会が開かれたそうで、乗務員を全員旅客列車に回したが、それでも34本が運休、貨物列車に至っては全面運休を余儀なくされたそうです。

農民の怒りは国鉄

ここで、国鉄ストで一番割を食ったのは貨物列車でした。

旅客列車の運送を優先せざるを得ず、どうしても貨物列車の運休が多くなる、他に輸送手段が無いため、どんどん貨車も溜まることとなり、遂に怒った農民は、7月16日新潟駅にて百姓一揆のような暴動が起こったと記録されています。

鉄労友愛会議の、国鉄民主化への道によりますと、下記のように書かれています。

しばし引用してみたいと思います。

新聞に新潟駅で乗客が騒いだ記事が出た。16日午前11時頃、昔の”百姓一揆”的な騒動が起こった。

朝日新聞』の7月16日付けの夕刊には、

  新潟市とその周辺、新潟県南、北、中蒲原3郡の農民代表約400人は、16日に農民大会を開き、午前11時半、バス6台に乗って新潟局に押しかけた。出荷期を無明けたスイカ産地の農民が大部分だが、「損害賠償せよ」のムシロ旗を掲げ、「農民を殺す闘争をやめろ」「労使の代表を出せ」と怒鳴り、止めた守衛を殴ったり、ガラスと数枚を壊していきり立った

と書かれていますが、当時は前述のように、鉄道以外に輸送手段が無く、勢い貨物列車の運休は、農家にしてみれば死活問題であったわけです。

国労本部も闘争収拾を決議するも、地本は反発

こうした抗議行動があった、16日午後4時には、闘争の責任者として、国労新潟地本企画部長等4名を公労法により処分すると発表しています。

 ここに来て、国労本部も同日16日の午前10時から中央闘争委員会を開催しますが、新潟闘争の収拾について協議。20対8で新潟闘争を中止させる方向に決定、この時点から本部は新潟闘争を本部預かりとすることになり、国労本部は、「この際ただちに一時中止し、中央における団体交渉に移す」という指令を出した。

しかし、新潟地本はこの要請を実質的に拒否、「闘争は一時中止するが、闘争態勢の解除ではない」と各支部へ電話で指令するとともに、「中央闘争本部が中止指令を撤回して改めて闘争指令を出すこと」を要請するために地本副委員長の神吉ら30人が東京に向かったと記録されています。

すでに、新潟地本は、国労本部の指令を無視する状態となっており、その温度差はますます大きくなっていくのでした。

明けて7月17日、新潟鉄道管理局は、新潟地本青年部長ら15人の解雇を発表

国労本部では、午後5時から、中央闘争委員会が開催され、新潟地本からの抗議団30名も傍聴することになったが、彼らは闘争中止の発言をする中東委員に、激しいヤジを浴びせるなどして議事進行を妨害、五時間近くかかってようやく、下記の2点が確認された。

  • 新潟に対する実力行使の中止指令は撤回しない
  • 解雇者は、河村・細井会談の線の一人にするよう交渉する」

と決定、実質的に新潟地本の実力行使は国労本部としては認めない方向が確定し、新潟闘争は本部・本社間での交渉にそのステージは移されることになりました。

新潟地本がはしごを外される形に

新潟地本は、7月18日午後2時から長岡市の鉄道クラブで、支部代表者会議を開いたが、中々結論は出ず、午後11時まで激論が交わされた結果は、本部の指令を受け入れるしか無いと言うことで終息します。

結局、総評からも官公庁労組からもさらには、国労本部からも兵糧攻めとも言える、逃走資金の補填がなされなかった点も大きかったと思われます。

実際、新潟地本ではこの闘争修了後、新潟地本は250円(現在の価値で言えば3000円前後?)の臨時徴収を指令したと書かれています。

新潟闘争は共産党と非共産党派の国労ないでの闘いと言えます

新潟闘争は、新潟地本と国労本部との対立という構図の闘争で、総評も官公庁労組も傍観する闘争でした

 

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