日本国有鉄道労働運動史【鉄労視点】

日本国有鉄道労働運動史、鉄労視点で綴るblogです

新潟闘争とはどのような闘争だったのか 第一話

 

いよいよ、今回から鉄労の本を参照しながら、新潟闘争以降の動きを見ていきたいと思います。
今回参考にさせていただくのは、鉄労友愛会議編纂の、国鉄民主化への道という書籍からになります。
Facebookのお友達の方から、国有鉄道史を研究されているのであれば、参考になるのではないかと譲っていただいた一冊であり、鉄労関係の本は余りで回っていないだけに大変貴重な一冊であります。
また、お陰様で更に国鉄歴史の研究に弾みがついたことも事実であります。
本当に個々頃より感謝いたします。

それでは、さっそく鉄労の母体となったとも言える新潟地方労働組合のお話をはじめさせていただきます。

新潟闘争の発端は、地本委員長の解雇から始まった

新潟闘争の発端は、国労が夏期手当獲得闘争で、2名の解雇者を発令しました。
その直接の原因は、越後滝谷駅長が車掌区関係の闘争の影響で、代務車掌として乗務を命ぜられたことから、乗務しようとしたところ、液のポイント小屋に連れて行かれて軟禁された事が解雇の直接の原因であったとされています。
その当時の記述を、国鉄民主化への道、第三章、地方総連合と職能労連の章から引用したいと思います。

二人を懲戒免職にした理由について、当局側の記録では「越後滝谷駅長中島が、6月13日の車掌区関係の闘争で、代務車掌として乗務を命ぜられ、乗務しようとしたところ、S、N(いずれも、実名で記載されていますが、ここではイニシャルに止めておきます)らに、宮内駅のポイント小屋に軟禁された。これが2名の免職の直接の原因となった」

新潟は広島とともに革同派が強い拠点

既に書きましたが、新潟地本は元々共産党系の革同派*1が強い拠点であり、昭和28年12月にもだ規模な闘争を行っており、この軟禁に関わったNという人物は、新潟地本の委員長(共産党員)をしており、当局側としては、解雇するための理由が出来た。
逆説的に言えば、国労新潟地本にすれば、大将を取られた・・・みたいなイメージでしょうか。

すぐさま、国労本部は「10日・11日の2日間、各支部一カ所ずつの職場を指定して、3時間の職場大会を行うこと。指定する業務機関は地方本部に一任する」という指示を出したそうです。

国労本部は、職場大会の開催を指令

ここで注目すべき点は、職場大会を3時間、各支部一カ所と極めて限定的に開催することを指定していることであり、さほど強い指令と言えませんでした
これは、当時国鉄当局が地方局に職員処分一任していたからでした。

新潟局としては、処分を当局(本社)から一任されているわけですから、軟禁した首謀者に地本の委員長がいたことを奇貨として、解雇処分を発令する機会としたわけです。

当然のことながら、大将(地本委員長)を処分された新潟地本は、処分が発令された9日昼から順法闘争に入り、さらに本部からの指令通り「10.11日の両日は、各支部一カ所3時間の職場大会を開け」との闘争指令を出します。

その際、闘争に指定された場所は下記のとおりでした。
新潟・新津・酒田・吉田・小出・柏崎・直江津各駅と長岡操車場です。

しかし、これはあくまでも当局の目をくらますおとりであったことが当日になって判明、ゲリラ作戦により現場は大混乱となってしまったとされています。

その辺は、改めて記述させていただきます。

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*1:国鉄労働組合革新同志会の略