日本国有鉄道労働運動史【鉄労視点】

日本国有鉄道労働運動史、鉄労視点で綴るblogです

鉄労誕生までのお話 1話

鉄労視点で書かせていただくといいながら、そのままになっていましたが、本日よりスタートさせていただきます。

鉄労という組織はいつ誕生したのか、元々はどのような組合だったのか、その辺からスタートしたいと思います。

国鉄労働組合

国鉄労働組合

鉄労も、元は国労から分離した組織

最初にお断りしておきますと、鉄労も、動労もそうですが、元々は国鉄労働組合から分化した組織です。
その中から最初に分離したのが昭和26(1951)年に分裂した機関車労組でした。
機関車労組と言ってもピンと来ない方も多いかと思いますが、動労の前身で、機関車乗務員並びに検修要員だけで構成された組合であり、後に鬼の動労とか革マル動労などと呼ばれましたが、結成当初は機関車乗務員の待遇改善(戦前に存在した格差賃金の獲得)を主な目的としたもので、穏健派が主流を占めており、使用者側とも良好な関係を保っており、運転局長・常務理事を経験した木島虎蔵氏を組織内候補として応援するなど、運転局との関係は良好でした。
動労が、革マルに浸食されていくのは、昭和30年代に入ってからですが、本題から外れますので、省略します。
さて、肝心の鉄労ですが、その芽は昭和32年の新潟闘争まで遡ることになります。
国労は、元々国鉄職員の殆どが結集して作られた組合であるため、その考え方はまちまちで。共産党系の指示を受けるグループもいれば共産党の指示に反対する反共のグループも存在したわけで、国鉄民主化同盟と呼ばれるグループ(民同)さらには、共産党とは距離を置くが共闘は否定しないという国鉄労働組合革新同志会(革同)という三つのグループが昭和23(1948)年までにできていたわけで、すでにこの時点で国労は1枚岩ではなかったと言えます。

鉄労を結成したのは、民同右派と呼ばれるグループ

鉄労は、特に国労の中では民同と呼ばれるグループから派生した組合になります。
民同派は、日本社会党(現在の社民党)を支持するグループでしたが、社会党の中にも右派と左派があったように、民同派の中にも右派と左派が存在しました。

そんな中で、昭和32(1957)年には、新潟で大規模な闘争が行われることとなりました。
発端は、6月13日国労新潟地本の処分反対闘争を行った際に、2名の解雇者を出したことで、組合側が反発したもので、弊サイト国鉄があった時代には、下記のように記述されています。

国鉄があった時代、昭和32年から引用

新潟闘争、国労、当局の処分に反対し闘争に突入 7/9

6月13日行われた国労新潟地本の処分反対闘争により、7月9日2名の解雇者を出したことからはじまった新潟の闘争は、勤務時間内職場集会、強力な順法闘争が併せて行われ、日本海縦貫貨物輸送を完全にマヒさせ、運休、遅延が拡大。各所で鉄道公安と衝突となり、農民代表から抗議を受けるほどであった
16日開かれた中央執行委員会において採決の結果20対8で中止指令を出すこととなり、すべては中央部に移されることとなった

岸内閣成立。運輸大臣に中村三之丞氏が就任 7/10
国労新潟地本、国鉄春闘処分に対し直江津など二駅で職場大会→処分反対闘争に突入 7/10→7/16 中止指令

この結果、裏縦貫貨物輸送マヒしており。16日の闘争中止指令後も交渉は膠着。藤林公企体労働委員会会長あっせんに乗り出すことに


国労の動きに合わせ、国鉄機関車労組(後の動労)新潟支部も無期限超勤拒否、臨時列車運転拒否 など闘争に参加 7/11

国労スト参加者、さらに5人検挙。全職場無期限の職場集会、当局も一歩も引かず自体は泥沼化 7/15

新潟地区全列車が停止 7/16

当局更に、15人免職処分を追加 7/17

中央闘争部よりストライキの中止指令 7/18
国鉄当局は今回の争議に対して4人の免職発表 7/18

新潟闘争、中央で折衝を始めるも平行線の議論 7/19

労使双方の折衝が行われているが、当局側としては、国労と真正面から対決することも辞さないと言う強硬姿勢を崩さず、解雇処分を受けた役員と話し合いとは行わないとして、組合側の確約を要請するという強い態度を維持しており、組合側は、民同左派、革同派との調整や共闘関係から主流派(民同右派)が窮地に追いこまれているという情況下にあり、互いの思惑も含めて収拾のつかない状態となっている
膠着状態を打開すべく藤林公企体労働委員会会長が、あっせんに乗り出す事となったが、当局は、解雇者以外の組合代表者が決まるまでは団交は行わないと強硬な態度を崩さず、現行の労働協約は、組合が現状を維持する限り期間満了とともに消滅するものであるという基本方針を決定している。(関連:当局、組合費の控除廃止 10/23) 組合側は、解雇された幹部を団交から除いては、かねて不当であるとして来た処分を事実上認めることとなり、かつは大闘争を中止した後でもあるので内部をまとめる上からも不都合であると、団交拒否禁止の仮処分を申請している状態であり、その出口は見えない
さらに、組合員の中には、国労の運動方針を不満とし、団交権を確立し、当面の問題を解決しようとする非現業組合結成の動きさえ現れてきており。国労は事態が一向に進展しないので、とにかく9月25日までは列車に影響を与えるような実力行使は行わない、大会の決定どおり、全国的な闘争は9月末から年末闘争にまで発展させるということを決定するに至った→参考: 新潟闘争

whitecat-kat.hatenablog.com

 国鉄があった時代昭和32年後半

 

と言った具合で、かなり強力な闘争となりました。
実は、昭和32年は3月頃から強力な闘争を繰り返しており、国鉄当局もかなり強気で処分を発令しており、昭和50年頃のマルセイ運動以降に見られる当局との癒着ぶりを思うとガチで対決していました。

そんな中で、新潟の非現業国労組合員(管理局員)の中から国労の動きに同調できないとして分裂する動きが出てきます。

すみません、新潟闘争までで力尽きそうですので、鉄労誕生までは2回に分けさせていただきます。m(_ _)m

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国労視点の、日本国有鉄道労働運動史もよろしくお願いいたします。

 

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